持たなくていい。エーリッヒ・フロムが教えてくれる「存在すること」の豊かさ

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誰かに選ばれるために、
好かれるために、
認められるために——

私たちは、
何かを「持つこと」に
一生懸命になってきたのかもしれません。

素敵な服。
好印象な肩書き。
「ちゃんとしてるね」と言われる日々のふるまい。

けれど、
どれだけ整えても、
どこかが空っぽのままのような
そんな感覚が、
夜の静けさにふと戻ってくること、ありませんか?

私は、何を持っていないと、愛されないのだろうか?
私は、何を手に入れたら、安心できるのだろうか?

そんな問いを抱えているとき、
20世紀を代表する思想家・エーリッヒ・フロムは
そっとこう語りかけてくれます。

「本当の自由とは、“持つ”ことをやめて、“在る”ことを選ぶことだ」

これは、
誰かと比べなくていい生き方。
持っていなくても、
ちゃんとここに“いる”と感じられる生き方。

フロムの言葉とともに、
「持たないこと」から始まる、
静かで深い豊かさについて考えてみませんか?

“所有の生き方”が私たちを縛る

気づけば私たちは、
「何を持っているか」で
自分を測るようになっていました。

どんな大学を出たか、
どんな企業に勤めているか、
どんな人に好かれているか。

まるで、
その“所有物”がなければ
私は価値がないかのように。

エーリッヒ・フロムは、
これを「所有の生き方(having mode)」と呼びました。
それは、愛でさえも「持ちたい」「支配したい」対象となり、
他者とのつながりすら「所有」の枠組みに取り込まれてしまう、と。

「所有する愛は、不安と独占の影を落とす」
――エーリッヒ・フロム『愛するということ』

この生き方は、
確かに一時の安心感をもたらします。
何かを手に入れたとき、
私たちはほんの少し、存在を保証されたように感じるから。

でもそれは、
砂の城のような安心です。

もっと手に入れないと、
もっと認められないと、
安心が崩れてしまいそうで、
心が休まることがありません。

そしてふと立ち止まったとき、
「じゃあ、もし何も持っていなかったら?」
という問いが、胸の奥を冷たく撫でていく。

それでも、誰かの前にいていいの?
それでも、愛されることを望んでいいの?

所有の生き方は、
私たちに「持たなければならない」という強迫を与え、
それが満たされないと、
“自分には存在する価値がない”とまで感じさせてしまいます。

そして何より、
「他者と共にある」という最も人間的な喜びをも、
所有の枠の中に閉じ込めてしまうのです。

愛しているはずなのに、
相手の自由や変化に耐えられない。
手放すことが怖くて、関係を強く握りしめてしまう。

そんなとき、
それはもしかしたら、
「愛している」よりも「持っていたい」に近い感情かもしれません。

“所有”の生き方が日常に溶け込んだこの社会で、
心の奥の違和感をすくい上げることは、
とても勇気がいることです。

でも、その違和感こそが、
フロムのいう「存在の生き方(being mode)」への扉なのだと、
私は信じています。

“存在の生き方”がもたらすもの

「持たなくても、
それでも私はここにいていい」

その確信が、
人を静かに強くする。

エーリッヒ・フロムが語った「存在の生き方(being mode)」は、
何かを得ることによってではなく、
今、ここに“在る”ことそのものを味わう生き方です。

それは、
評価されることでも、
正しくあることでもなく、
ただ「自分という存在」を感じながら、誰かと響き合っていくような道。


● “存在”には、終わりがない

所有はいつか失われる。
地位も、物も、恋人も、変化しないものはありません。

でも存在は、
失うことができない何かを内側に育ててくれます。

  • 誰かの言葉に深く共鳴したとき
  • 目の前の風景に、理由もなく涙がにじんだとき
  • 無言のまま、隣の人と心が重なるような瞬間

それは何の成果にもならなくて、
何も“持った”ことにはならないけれど、
心が「生きている」と感じる、確かな時間です。


● 愛するとは、所有せずに“ともにある”こと

存在の愛は、
相手を所有せず、変化と未完成を許容する関係です。

「愛するとは、理解し、育み、変化と共に歩むことだ」
――エーリッヒ・フロム

「手に入れたから、もう安心」ではなく、
「これからも、一緒にあり続けたい」
という柔らかい願いがそこにはあります。

そうした関係は、
緊張ではなく、安らぎに包まれています。

所有の恋が「逃げられる不安」を孕むなら、
存在の恋は「共に変わっていく希望」を含んでいる。


● 存在を生きるとは、自分の内側を愛すること

“ちゃんとしなきゃ”“結果を出さなきゃ”と、
日々追い立てられていると、
自分の感覚すら遠くに感じてしまうことがあります。

でも、存在の生き方は問いかけてきます。

「いま、あなたの心はどんな風に動いていますか?」

正解ではなく、
静かにゆれる心そのものを
感じ取り、言葉にし、
ときに誰かと分かち合うこと。

それこそが、
生きることの手応えであり、
他者とのつながりのはじまりでもあるのだと思います。


● “存在”はあなたを守る居場所になる

何かを失ったとき。
誰にも見てもらえない気がするとき。
うまく言葉にできない痛みを抱えているとき。

そんなときも、
「私は、今ここにいる」
という感覚は、誰にも奪われません。

存在することを選んだ人は、
静かだけれど、決して空っぽではないのです。

むしろその心は、
“持っていないからこそ感じ取れる”
やさしさと余白に満ちている。

現代日本社会への応用|“在る”を取り戻すには

「心を閉じたまま、評価を得ることに慣れてしまった」

そんな日々を、
私たちは少しずつ、ほぐしていけるだろうか。

現代の日本社会は、「所有の生き方」を前提に動いています。
学校も、職場も、SNSも——
「持っているもの」「成果」「他者からの承認」が、
人としての“価値”であるかのように、静かに刷り込まれている。

たとえば──

  • いい大学に入ることが「ちゃんとした未来」への条件
  • 恋人や結婚の有無で「幸福度」が測られる
  • SNSで“いいね”や“フォロワー”があるほど「人間力がある」と思われる

けれど、そうした外側のものが剥がれたとき、
自分の「内側」は、どれだけ確かに残っているでしょうか?

フロムの言う「存在の生き方」は、
この社会の“普通”から静かに離れ、自分の心の声に耳をすませる生き方です。


● 存在を育てるために、できること

存在は、急に手に入るものではありません。
それは「整える」ことではなく、「思い出す」ことに近いのです。

以下は、日々の中で実践できる小さな“存在のための時間”です。

☑ 静けさを選ぶ

・スマホを手放し、自然の中を歩く
・ひとりのカフェで、音楽を聞かずに“感じる時間”を持つ

☑ 感じたことを言葉にする

・日記に「〜すべき」ではなく「〜と感じた」と書く
・短い詩やメモで、自分だけの“心のスケッチ”を残す

☑ 誰かと「役割」ではなく「存在」でつながる

・話すためではなく、“一緒に沈黙する”ことを恐れない
・評価せず、ただ「あなたはそこにいるんだね」と思える関係を大切にする

これらは、成果にはならないかもしれません。
でも、心が静かに広がっていくような、生きている感覚を育ててくれます。


● 小さな抵抗としての“存在”

忙しくて、騒がしくて、
どこか落ち着かないこの社会の中で、
“存在する”ことは、ある意味「小さな反抗」でもあります。

人からどう見られるかではなく、
自分がどう“感じているか”に耳をすますという選択。

それは、派手でも華やかでもないけれど、
本当の意味での自己信頼を育ててくれます。

「私には、何も持っていない時間を愛する力がある」

そう気づいたとき、
私たちは、“社会的成功”よりも大きな自由を手に入れるのです。


● “存在”は、つながりを呼び込む

あなたが「存在」を生きようとするとき、
同じように“持つこと”に違和感を覚えた誰かが、
きっとそっと近づいてくる。

共鳴とは、「似ている」ことではなく、
「感じ合える」こと。

そういうつながりが、これからの時代にこそ、
必要とされているのだと思います。

静かで内面的な生き方を選ぶ勇気

誰かにとって魅力的でなくても、
何かを持っていなくても、
私が私で在ることを、そっと肯定してみたい。

“持つこと”が当たり前の社会の中で、
“在ること”を選ぶのは、
とても静かで、でも勇気のいることです。

「ちゃんとしていない私」
「役に立たない時間」
「不完全な関係」

それらすべてを、
否定せずに抱きしめていくことでしか、
ほんとうの自由や共鳴は育たないのかもしれません。

エーリッヒ・フロムは言いました。

「“在ること”を選ぶとき、人は初めて本当の意味で生きはじめる」

何者かにならなくてもいい。
ただ、誰かと静かに響き合うこと。
ただ、自分の感受性にやさしく触れていくこと。

そんな日々こそが、
所有では決して手に入らない、
深くてやわらかな幸福をつれてきてくれると、私は信じています。


🌿 今日の終わりにできる、小さな存在の実践

  • 「何かを達成しなきゃ」ではなく、「何を感じた?」と自分に問いかけてみる
  • SNSを閉じて、風の音やコップの水の揺れに耳を澄ませてみる
  • 誰かと比べそうになったら、「私は、私の時間を生きている」とつぶやいてみる

それだけでも、
あなたの中の“存在”は、
今日よりほんの少しだけ、育っていきます。


持たなくても、満ちている。
表現しなくても、伝わっている。

そんな静かな世界が、たしかにここにある。

それを信じるあなたと、共に歩んでいけたら嬉しいです。

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